色内小PTA
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今日は、
「ボートの体験教室」
でした。
ストレッチで
体をほぐします。
さあ、いよいよ
始まりました。
以外と、力がいるみたいです。
最後に記録証を頂きました。
みんな、明日は筋肉痛かなあ。
そう言えば、
甥っ子が、高校時代
「ボート部」で
北見とかばらと(?だったかな)に
出かけていました。
発達障がいの講演会に行って来ました。
すごい人でした。
こんなに来てるとは....
関心の高さを感じます。
もう少し、具体的な対応策を
聞きたかったなあと思いましたが。
私の質問に
講師の先生も
「難しいなあ...。
ボクだったら、こうします...
でも、今後良く考えて見たいと思います。」と。
家庭と
学校と
医療機関と
行政機関と
この4つが、しっかりと「チーム」を
組んでいかないと
ダメだよなあ。
行政と言っても
小樽みたいな貧乏な市じゃ....
期待出来ませんよね。
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特別支援
支援関係は、「これが正解」という形がないだけに、答えも対応もとても難しいものだと思います。
でも、貧乏な市といっても、お金の問題ではない気がします。
いくら支援員やコーディネーターを配置していただいても、その方々に頼りきり・任せきりでは事が進まないのです。
お金をかけなくても、日々のほんのちょっとした工夫や気配りが、十分な支援になっている場合もありますし、どんなにお金をかけてもそこに気持ちがなければ支援としては通用しません。
だから本当は、「特別支援」ではなく、「適切支援」なのではないでしょうか。
特別という名があるからこそ、特別な事として考えられているような気がするのです。
子ども達それぞれに合った、特別ではなく適切な対応(ナチュラルサポート)こそが、今望まれていることだと思います。
先生方だけではフォローしきれない部分も、もちろん多くあると思います。
だからこそ、親同士の団結・協力も非常に大切だと思っています。
一人一人の気持ちの持ちようによって、状況は良くも悪くもガラッと変わってきます。
みんなが協力して子ども達を育てていく”Team色内”に共感し、これからもますます期待しています。
でも、貧乏な市といっても、お金の問題ではない気がします。
いくら支援員やコーディネーターを配置していただいても、その方々に頼りきり・任せきりでは事が進まないのです。
お金をかけなくても、日々のほんのちょっとした工夫や気配りが、十分な支援になっている場合もありますし、どんなにお金をかけてもそこに気持ちがなければ支援としては通用しません。
だから本当は、「特別支援」ではなく、「適切支援」なのではないでしょうか。
特別という名があるからこそ、特別な事として考えられているような気がするのです。
子ども達それぞれに合った、特別ではなく適切な対応(ナチュラルサポート)こそが、今望まれていることだと思います。
先生方だけではフォローしきれない部分も、もちろん多くあると思います。
だからこそ、親同士の団結・協力も非常に大切だと思っています。
一人一人の気持ちの持ちようによって、状況は良くも悪くもガラッと変わってきます。
みんなが協力して子ども達を育てていく”Team色内”に共感し、これからもますます期待しています。
Re:特別支援
ぷちふぁーまーさんが仰ることは
「特別支援」に限らず
子育て全般に通じることだと思います。
そのためには、
保護者の理解が必要かと思っています。
昨年一年間
色内でしてきたことは(特別支援も含む)
小樽市内では、画期的なことだったと思います。
それでも、私にしたら
やっとスタート地点に立ったと言う感じです。
まだまだ、求めている保護者はたくさんいます。
色内に限らず....
その結果が、昨日の講演会だったと思います。
それが、確かなこととして
定着させることが
今年の私の最大の課題です。
そのためにPTAテーマを
KEEP★継続は力なり!
ひとつひとつを積み重ねて...にしました。
特別支援に関しては
まだまだ立ち後れていますが
何より大事なことは
ぷちふぁーまーさんのように
思いを発信していくことではないでしょうか?
保護者の声が
学校を
行政を
変えていく力になると思います。
私もそういう気持ちから
読み聞かせの「ネットワーク」を
作りました。
その場で、色々なことを共有したり
情報交換したり
読み聞かせ以外のことも語りあったり。
自分の思いを発信し
理解や協力を求めて、つながっていきましょう。
まずは、『Team 色内』
すべては、子ども達のために...
よっしゃーーーーーーー!
気合いだ!気合いだ!気合いだ!..........
「特別支援」に限らず
子育て全般に通じることだと思います。
そのためには、
保護者の理解が必要かと思っています。
昨年一年間
色内でしてきたことは(特別支援も含む)
小樽市内では、画期的なことだったと思います。
それでも、私にしたら
やっとスタート地点に立ったと言う感じです。
まだまだ、求めている保護者はたくさんいます。
色内に限らず....
その結果が、昨日の講演会だったと思います。
それが、確かなこととして
定着させることが
今年の私の最大の課題です。
そのためにPTAテーマを
KEEP★継続は力なり!
ひとつひとつを積み重ねて...にしました。
特別支援に関しては
まだまだ立ち後れていますが
何より大事なことは
ぷちふぁーまーさんのように
思いを発信していくことではないでしょうか?
保護者の声が
学校を
行政を
変えていく力になると思います。
私もそういう気持ちから
読み聞かせの「ネットワーク」を
作りました。
その場で、色々なことを共有したり
情報交換したり
読み聞かせ以外のことも語りあったり。
自分の思いを発信し
理解や協力を求めて、つながっていきましょう。
まずは、『Team 色内』
すべては、子ども達のために...
よっしゃーーーーーーー!
気合いだ!気合いだ!気合いだ!..........
あたりまえの支援
いつも思うのですが、特別支援っていう言葉じゃないようなあと。教育の中で「あたりまえの個別の支援」としてとらえるべきだよなあ。特別支援に関心が集まるのはうれしい反面、まだまだ誤解されやすくわかりにくい部分があり、若干の危惧を抱いています。
いつもいろんな人に言うことですが、目が悪ければめがねをかけ、足が悪ければつえをつくように、努力では補えない部分を助け合い、励ましあえる人間関係を学校時代に築き上げていくことが大事だと思います。そして困っている人がいれば誰でも手を差し伸べる、そんな社会になってほしいものです。
いつもいろんな人に言うことですが、目が悪ければめがねをかけ、足が悪ければつえをつくように、努力では補えない部分を助け合い、励ましあえる人間関係を学校時代に築き上げていくことが大事だと思います。そして困っている人がいれば誰でも手を差し伸べる、そんな社会になってほしいものです。
Re:あたりまえの支援
ふくかいっちょう!さん、
忙しい中、コメントありがとうございます。
日本人の発想って、乏しいというか
貧しいんだなあと.....
まず、障がいと言う言葉、
特別支援...これもチョット。
もっと、適切な言葉があったらなあと
支援...何か大げさな気がします。
誤解されやすい、
理解できない.....その通りですね。
私も
本を読んだくらいでは
講演を聞いたぐらいでは
理解できません。
我が子に
どう伝えるのか....
私の今の悩みです。
忙しい中、コメントありがとうございます。
日本人の発想って、乏しいというか
貧しいんだなあと.....
まず、障がいと言う言葉、
特別支援...これもチョット。
もっと、適切な言葉があったらなあと
支援...何か大げさな気がします。
誤解されやすい、
理解できない.....その通りですね。
私も
本を読んだくらいでは
講演を聞いたぐらいでは
理解できません。
我が子に
どう伝えるのか....
私の今の悩みです。
訂正します!
先ほど、日本人の発想は乏しいとか貧しいとか
書きましたが、訂正します。
あの後、本棚をボーッと見ていたら
「声に出して読みたい日本語」の本が
目に入りました。
パラパラめくってみると
思わずうっとりしたり
パワー充電したり
遠い昔に思いを馳せたり
.....日本の文学(漢詩も入っていますが)は
凄いなあと思いました。
そのことを考えたら
貧しいとか乏しいとか...とんでもないと。
特別支援に関しては
誰もが
しっくりくる言葉に
まだ出会っていないだけで
きっと、みんなの心にストンと
落ちる良い言葉がきっとあるよなあ。
それを考えたら
「読み聞かせ」と言う言葉も
チョット違和感が...
今はこの言葉しか見当たらないので
使っていますが
子どもに~させると言う言葉は
使いたくないなあという
単なる私の個人の考えですが。
書きましたが、訂正します。
あの後、本棚をボーッと見ていたら
「声に出して読みたい日本語」の本が
目に入りました。
パラパラめくってみると
思わずうっとりしたり
パワー充電したり
遠い昔に思いを馳せたり
.....日本の文学(漢詩も入っていますが)は
凄いなあと思いました。
そのことを考えたら
貧しいとか乏しいとか...とんでもないと。
特別支援に関しては
誰もが
しっくりくる言葉に
まだ出会っていないだけで
きっと、みんなの心にストンと
落ちる良い言葉がきっとあるよなあ。
それを考えたら
「読み聞かせ」と言う言葉も
チョット違和感が...
今はこの言葉しか見当たらないので
使っていますが
子どもに~させると言う言葉は
使いたくないなあという
単なる私の個人の考えですが。